両利きの経営は、なぜ現場で壊れやすいのか

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両利きの経営という、魅力的な理論

「両利きの経営(Ambidextrous Organization)」という言葉を聞くと、多くの経営者やコンサルといった人々は強い「納得感」を覚えるのではないでしょうか。
既存事業を安定的に回しながら、新規事業やイノベーションにも挑戦する。どちらか一方ではなく、両方が必要である。確かに、その通りだと思えます。

探索(Exploration)深化(Exploitation)。
変化の激しい環境に適応するためには、新しい可能性を探る探索と、既存の強みを磨き上げる深化の両方が欠かせません。
理論としては非常に整っており、納得のいく考え方です。

そのため、両利きの経営という言葉は、経営計画や中期ビジョン、DX構想などに自然に組み込まれていきます。
問題は、その「実装」の段階で起こります。

教科書における両利きの経営の整理

両利きの経営については、組織論や経営管理のテキストでも、比較的整理された形で説明されています。
基本的な考え方は、「探索」と「深化」は性質が大きく異なるため、同一の組織構造や評価軸のままで両立させることは難しい、という点にあります。

そのため、教科書では、両利きの経営を実現するための代表的なアプローチとして、次のような整理が示されることが一般的です。

  • 探索と深化を組織構造として分離する方法(構造的両利き)
    (例:既存事業部とは別に、新規事業専任の部門や子会社を設け、評価制度や意思決定ルールも切り分ける)
  • 同一組織の中で、時間的に切り替える方法(時間的両利き)
    (例:一定期間は既存事業の効率化に集中し、別の期間は新規テーマの検証に重点を置くといった運用を行う)
  • 明確な分離を行わず、文脈や裁量によって両立を図る方法(文脈的両利き)
    (例:現場の裁量を広く認め、業務内容や状況に応じて探索的な行動と深化的な行動を使い分ける)

いずれのアプローチにおいても共通しているのは、探索と深化では求められる判断基準や行動様式が異なるため、何らかの形で「同じに扱わない工夫」が必要である、という点です。
ここまでの整理は、教科書的にも、理論的にも、妥当なものだと言えます。

💡コラム|「両利きの経営」という考え方の系譜

「両利きの経営(Ambidexterity)」という言葉は、突然現れたものではありません。その起点には、James G. March が提示した「探索(Exploration)と深化(Exploitation)」という組織学習の基本的な問題設定があります。

その後、この対概念を経営理論として発展させ、組織設計の議論へと展開したのがMichael L. TushmanCharles A. O’Reilly III です。「両利き」という言葉も彼らが初めて使いました。

日本では、この理論を実証研究とともに紹介し、日本企業の文脈で広く知られるようにしたのが入山章栄 氏です。

本稿で焦点を当てているのは、こうした理論の背景を踏まえたうえで、それが現場に実装されたときに何が起きるのか、という点です。

現場で起きがちな、両利きの経営の誤解

問題はここから先です。
現場で起きている多くのつまずきは、「この整理が間違っているから」ではありません。

実務の現場では、次のような状態がしばしば見られます。

  • 組織上は分けたが、人材は兼務のまま
  • 評価制度やKPIは共通のまま
  • 予算統制や承認フローは既存事業基準のまま
  • 探索側にも短期的な成果説明が強く求められる

結果として現場には、「両方やれ」というメッセージだけが残ります。

探索は本来、不確実性が高く、失敗を前提とした活動です。
一方、深化は効率性や再現性、安定性が重視されます。
この二つを、同じ前提条件のまま運用すれば、無理が生じるのは自然なことです。

なぜ「両立」しようとした瞬間に、両方が壊れるのか

両利きの経営がうまく機能しない最大の理由は、理論そのものにあるわけではありません。
「両立」という言葉が、構造設計の難しさを見えにくくしてしまう点にあります。

探索と深化は、単なる業務内容の違いではありません。
意思決定のスピード、リスク許容度、評価の考え方など、組織に求められる前提条件が大きく異なります。

それにもかかわらず、同じ評価制度、同じ会議体、同じ承認プロセスで両方を運用しようとすると、探索は管理されすぎて動けなくなり、深化は余計な試行錯誤に振り回されることになります。

ここで起きているのは、「理論の失敗」ではなく、「構造設計の不足」です。

両利きの経営は、掛け声の理論ではありません

両利きの経営は、「両方大事だ」というスローガンではありません。
本来は、「どこで分け、どこでつなぐか」を考えるための設計思想です。

  • 探索と深化は、同時に同じやり方で行わないこと
    (例:新規テーマの検証段階に、既存事業と同じ承認フローや会議体を適用しない。
    代わりに、少人数・短時間で判断できる専用の意思決定ルートをあらかじめ用意しておく)
  • 評価軸や判断基準の違いを、制度として認めること
    (例:探索活動に対して、短期の売上やROIではなく、仮説検証の進捗や学習量を評価対象とする)
  • 探索が成果を出さない期間があることを、あらかじめ織り込むこと
    (例:一定期間は数値成果が出なくても継続を前提とし、その前提を経営側が明示しておく)

両利きの経営は、「やるか、やらないか」を問う理論ではありません。
問われているのは、探索と深化を、どの前提条件のもとで扱うのか、という判断です。

官僚制の逆機能との接点

問題は両利きの経営そのものではなく、それを既存の官僚的な制度や管理の枠組みで扱ってしまう点にあります。
その結果、探索と深化の双方に過剰な管理が及び、官僚制の逆機能が表面化するケースも少なくありません。

誰も間違った判断をしていないにもかかわらず、成果が出ない。
このような状態は、両利きの経営を導入・運用する過程で、官僚制の逆機能が顕在化している一例だと言えるでしょう。

正しい理論ほど、誤用されやすい

両利きの経営は、正しい理論です。
だからこそ、誤用されやすい。

理論は守るものではなく、考えるための道具です。
正しさを信じた瞬間に思考が止まると、理論は逆機能を起こし始めます。

両利きの経営は、そのことを静かに教えてくれる理論でもあるのかもしれません。

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