官僚制の「逆機能」とは何か――訳語から読み解く制度理解のズレ

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はじめに
組織の問題を語る際、「官僚制の『逆機能(dysfunction)』」という言葉がよく登場します。組織の成長に伴い、だんだん官僚的な側面が芽生えてきて、そのうちに悪影響を及ぼすようになる、という文脈で使われることが多い言葉です。しかし、この「逆機能」という日本語訳には、実は深い意味のズレが潜んでいるのではないか――。この記事では、社会学者ロバート・K・マートンの理論を起点としながら、この訳語の問題と、私たちが組織戦略をどう理解すべきかについて考察します。

「逆機能」という言葉の由来

「逆機能」という言葉は、マートンが1949年に著した『Social Theory and Social Structure』で提唱した “dysfunction” の訳語として、日本で1960年代以降に定着したものと考えられます。彼は、社会制度や構造が本来意図した機能とは異なる結果を生むことがあるという視点から、「顕在的機能」「潜在的機能」と並べて、いわゆる「逆機能(dysfunction)」を提示しました。

この訳語は、順機能(=positive function)との対比を意識した、わかりやすい教育的構造を持っています。しかし、そのわかりやすさが、原語の持つニュアンスを十分に伝えていない可能性もあります。

💡より正確には、順機能(Positive functions)として「顕在的機能(Manifest Functions)」と「潜在的機能(Latent Functions)」を定義し、さらにいわゆる逆機能として「Dysfunctions」を定義しています。

  1. Manifest Functions(顕在的機能:いわゆる順機能のひとつ)
    • 組織や制度が意図されて自覚された結果を指す
      “Manifest functions are the consequences that people see, observe or even expect.”
  2. Latent Functions(潜在的機能:状況により順機能にも逆機能にもなり得る)
    • 意図されず、自覚もされないが、結果的に機能している働き
      “Latent functions are those that are neither recognized nor intended.”
  3. Dysfunctions(いわゆる逆機能)
    • 結果がネガティブで、制度の安定や調整に対してマイナスの要素となる現象
      “Dysfunctions are a type of unintended outcome that is harmful in nature.”

「逆機能」は本当に“逆”なのか?

「逆機能」という日本語には、「正反対」「敵対」「反転」といった強い語感があります。つまり、たとえば「合理性」が「非合理性」に、「効率」が「非効率」に反転するかのように聞こえます。しかし、マートンの語る “dysfunction” は、それほど単純な“反対”を意味していません。

実際には、制度が本来の目的を果たせなくなったり、過剰に働いて副作用をもたらしたり、現場の文脈に合わなくなったりすることで、以下に示す例のように組織が「うまくいかなくなる」現象――つまり機能不全のような状態こそが “dysfunction” の核心です。

  • 公平性を重視しすぎた結果、柔軟な対応ができなくなる(形式主義)
  • 専門分化が進みすぎて、部署間連携が取れなくなる(セクショナリズム)
  • 責任の明確化が過剰になり、誰も意思決定を下せなくなる(責任回避)

もう少し言葉を補うと、上記の機能不全は、官僚制が進み、制度自体が確実に機能しているからこそ、不都合や不便が生じているのであって、公平性を重視したら不公平になったとか、専門化が進みすぎて専門化が損なわれたとか、いわゆる「逆」の結果をもたらしたわけではないのです。ベクトルが逆向きなのではなく、あくまでベクトルの大きさが大きくなりすぎたが故の「弊害」や「副作用」というのがより正しい表現です。

なぜ「逆機能」と訳されたのか

「dysfunction」はギリシャ語由来の接頭辞 “dys-“(悪い、困難、不完全)と “function”(機能)からなる言葉であり、本来は「機能不全」や「障害」を意味します。ただし、”dys-“には「悪い」という意味はあっても「逆」という意味はありません。

一方で、ラテン語由来の接頭辞 “dis-“(否定、反転)には「逆」の意味があります。もし翻訳者が dys- を dis- と混同したとすれば、「逆機能」という訳語が生まれたのも自然な流れです。

訳語の決定には、当時の日本の社会学や行政学において、「順⇔逆」という図式が教育的にわかりやすく受け入れられたという事情もあったかもしれません。(例えば1970年代以降の教育病理学では、以下のように「順機能⇔逆機能」の枠組みが制度分析の形式として活用されていました)

“「社会病理現象として教育をとらえる場合、順機能と逆機能という視角からの分析は非常に有効だという」”

村上光朗「教育病理の判断基準の再検討」、教育社会学研究第37集(1982) p.87.

より適切な訳語はあるのか?

一方で、既に医学や心理学、経済などの分野では、”dysfunction” は「機能不全」と訳すのが一般的です。

例:

  • 心臓機能不全(cardiac dysfunction)  :医学分野
  • 認知機能不全(cognitive dysfunction) :心理学・神経科学分野
  • 市場機能不全(market dysfunction)  :経済・ビジネス分野

これに倣うならば、官僚制や制度論の文脈でも「逆機能」より「機能不全」としたほうが、原義との整合性が高く、かつ副作用・制度疲労・構造的逸脱といった現象をより正確に捉えることができると考えられます。

おわりに:言葉を見直すことは制度を見直すこと

「逆機能」という訳語は、dysfunction の意味を日本語でわかりやすく示すために一定の役割を果たしてきたといえます。特に教育的な文脈では、「順機能」との対比で制度のプラス・マイナス両面を整理するのに有効でした。

しかしながら、その語感が制度を“対立的”または“反転的”に理解させる危うさをはらんでいることも否定できません。「誤訳」とまでは言えないものの、むしろ「機能不全」と訳したほうが原義との整合性が高く、かつ制度批判・改革の文脈においてより建設的な理解を促す表現となり得るのではないでしょうか。

制度改革や組織改善を考えるなら、まずはその土台となる「言葉」から見直してみることが、実は最も実践的な第一歩かもしれません。

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