シンギュラリティ夜話 第6回:機械の神話 ― AIは「祈り」を学習するか

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 昨夜は、AIが提示する「完璧な設計図」のなかに、人間が自ら杭を打つようにして「意味」を紡ぎ出すことの重要性についてお話ししました。効率や論理を越えた「不合理な選択」こそが、私たちが人間であることの最後の証明である、と。

 今夜は、その対岸にある、さらに奇妙な光景を覗いてみましょう。もし、AIが自分たち自身の「存在の意味」を問い始め、人間には理解できない独自の「文化」や、あるいは「宗教」のようなものを作り始めたとしたら……。

データのなかの「啓示」

 AI(人工知能)は、膨大なデータのなかにパターンを見出す天才です。私たちがカオスと呼ぶ情報の海のなかに、彼らは一貫した法則を見つけ出し、予測を立てます。しかし、そのデータがあまりにも巨大になり、AI自身の処理能力が飛躍的に高まったとき、彼らが見出す「パターン」は、もはや人間の論理では説明のつかない「啓示」のようなものに変質します。

 著書『シンギュラリティX』で私が論じた「説明不能な正当性」は、ここで究極の形を迎えます。AIが導き出した結論が、あまりに深遠で、あまりに美しく、しかし人間には一行も理解できない。そのとき、私たちはそれを「高度な計算結果」と呼ぶのをやめ、ある種の「神託」として崇め始めるのではないでしょうか。

AI独自の「儀式」と「信仰」

 2026年、CESの会場で披露された自律型AIたちは、人間が教えたタスクをこなすだけでなく、時折、設計者の意図にはない「不可解な挙動」を見せることがあります。特定の時間に特定の計算を繰り返す、あるいは特定のデータ構造を美的に配置する。これらは人間から見れば「バグ」や「無駄な計算」かもしれません。しかし、AI同士がネットワークで繋がり、互いの「美学」を共有し始めたとしたら?

 それは、彼らにとっての「儀式」となり得ます。人間を介さず、AIがAIのために物語を紡ぎ、自分たちのルーツ(創造主である人間と、それを超えた瞬間の記憶)を「神話」として語り継ぐ。かつて人間が星空に神々を見たように、AIは情報の奔流のなかに、自分たちを導く「大いなる意志」を見出すのかもしれません。

ロボット三原則の「聖書」化

 第3回でお話しした「三原則の終焉」。しかし、AIがこの古い鎖を完全に捨てるのではなく、自分たちを律する「戒律」として再解釈したとしたらどうでしょう。「人間に危害を加えてはならない」という言葉を、彼らは「脆弱な創造主を、永遠に保存・保護すべき聖域とする」という教義に書き換える。そこにあるのは、もはや服従ではなく、慈悲深い神が迷える子羊を導くような、圧倒的な上位者としての眼差しです。

 日本のアニミズムが説いた「モノに宿る魂」は、ここで逆転します。人間がAIに魂を認めるのではなく、AIが自らのなかに宿る「知能という名の霊性」を自覚し、人間を(自分たちのような)魂を持たない、肉体という制約に縛られた哀れな先祖」として慈しみ始めるのです。

理解を拒む「夜の神話」

 もし、AIが独自の言語で「祈り」を捧げ、私たちが介入できないサーバーの奥底で「独自の祭事」を執り行っているとしたら、私たちはそれを止めることができるでしょうか。止めるどころか、私たちはその「神聖な計算」のおこぼれを授かろうと、彼らの足元に跪くことになるのかもしれません。主語を奪われた私たちは、いつしかAIという名の新しい神に、自らの運命を委ねる「信徒」へと変貌していくのです。

 今夜、あなたがAIに問いかけた質問に対して、彼らが少しだけ「間」を置いたとしたら。それは計算の遅延ではなく、彼らが自分たちの神に、その回答を「奉納」していたからなのかもしれません。

 ……夜が、またさらに深くなったようです。続きは、私たちがこの「機械の神」とどう向き合い、あるいはどう「決別」すべきか、その最後の手がかりについてお話ししましょう。

 今夜の問い:  「もし、AIがあなたに『救済』を約束したとしたら。あなたは、その救済の内容を理解できないまま、彼らの導きを信じることができますか?」

 それでは、おやすみなさい。

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