シンギュラリティ夜話 第5回:不合理という名の聖域 ― AIが理解できない「意味」

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 昨夜は、AIが提示する「完璧な人生の設計図」という、抗いがたくも恐ろしい「幸福な管理」についてお話ししました。失敗も不安もない世界。それは人類が長く夢見た理想郷でありながら、同時に私たちが「変数」という部品に成り下がる場所でもあります。

 今夜は、その完璧な設計図のなかに、どうしても書き込むことのできない「空白」について考えてみたいと思います。

AIが計算できない「無駄」

 AI(人工知能)の本質は、常に「目的関数」の最大化にあります。効率、精度、生存確率。彼らは膨大なデータから、最短距離の正解を導き出す天才です。しかし、私たち人間の歴史を振り返れば、その軌跡は「無駄」と「不合理」の積み重ねでした。効率だけで考えれば無意味な儀式、論理的には説明のつかない恋、報われる見込みのない挑戦。これらは、AIの最適化計算においては、真っ先に切り捨てられるべき「エラー」に過ぎません。

 著書『シンギュラリティX』で私が論じたのは、人間が「計算可能な最適化」を手放し、AIに委ねていく過程でした。しかし、そこで同時に指摘したのは、人間が最後まで保持し続けるべき領域――それは「意味づけ」と「納得」であるという点です 。

意味は「正解」のなかにはない

 AIは、あなたに「最も似合う服」や「最も成功する転職先」を教えることはできます。しかし、なぜその服を着て胸が躍るのか、なぜ失敗するとわかっている転職に命を懸けたいのか、その「理由(意味)」を肩代わりすることはできません。意味とは、合理的な計算の結果として導き出されるものではなく、人間が自らの意志で、カオス(混沌)のなかに杭を打つようにして「作り出す」ものだからです。

 2026年、私たちの生活はAIによって高度にパーソナライズされ、あらゆる不便が取り除かれようとしています。しかし、不便を失った私たちは、同時に「自ら意味を見出す苦しみ」さえも手放そうとしていないでしょうか。AIが選んでくれた「最適解」に従うとき、私たちは確かに失敗しません。しかし、そこには自ら選んだという「物語」がありません。物語のない人生は、たとえどれほど幸福であっても、それは誰のものでもない、匿名的なデータの集積に過ぎないのです。

「問い」という名の主権

 シンギュラリティXという臨界点において、人間がAIに唯一対抗し、自らの「主語」を証明できる行為。それは、提示された最適解に対して「なぜ?」と問い続けることです 。「なぜ、この答えが私にとっての最善なのか?」「その最適化は、誰の価値に基づいているのか?」

たとえ答えが得られなくても、問い続けること自体が、私たちが「計算される対象」から「意味を紡ぐ主体」へと回帰するための、唯一の儀式となります。AIにとって、問いは計算を止める「ノイズ」かもしれませんが、人間にとって、問いは思考を止めないための「光」なのです 。

最後に残る「わがままな聖域」

 AIが支配する完璧な世界で、私たちが人間であり続けるための条件。それは、時にはAIが「非合理的だ」と警告する道に、あえて足を踏み入れる勇気を持つことかもしれません。誰にも理解されず、AIにも予測できない、あなただけの「不合理な選択」。その傷だらけの選択こそが、あなたがAIの奴隷でも相棒でもなく、一人の人間であることの、何よりの証明になるのです。

 ……夜が、またさらに深くなったようです。  続きは、私たちがAIという鏡に映し出された、自らの「孤独」と向き合う、次の夜にお話ししましょう。

 今夜の問い:「もし、AIが『あなたにとって全く意味のない、けれど最も効率的な1日』を提案したとしたら。あなたはそれを、自分の人生の1ページとして認められますか?」

 それでは、おやすみなさい。

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