窓の外では、冬の夜気が街を静かに包み込んでいます。皆さんは今日、いくつの「決断」をしましたか? 朝、アラームを止めるか否か。ランチに何を選ぶか。あるいは、仕事でどのメールに優先的に返信するか。その一つひとつの選択において、最後に「GO」を出した主語は、本当にあなた自身だったでしょうか。
ラスベガスの「無人」の熱狂
今週、ラスベガスで開催されている「CES 2026」の会場をネットで眺めながら、私はある種の既視感を覚えていました。そこにあるのは、LGが掲げた「ゼロレイバーホーム」に代表される、人間を労働という呪縛から解き放とうとする、あまりにも純粋で合理的な未来の図面です。
洗濯、掃除、料理、工場の重労働……。人間が「やらなくていいこと」をすべてAIに肩代わりさせる。かつてSFが描いた「執事ロボット」たちが、洗練されたアルゴリズムと強靭なアクチュエーターを携えて、私たちの居間に、あるいは生産ラインに、静かに配置されていく光景。そこには、技術がもたらす「平和な完成予想図」が広がっています。
しかし、この「解放」という光景を前にしたとき、私たちの心に浮かぶ感情は、文化というフィルターを通すと驚くほど対照的な色を帯び始めます。
日本の「絆」と八百万(やおよろず)の精神
私たち日本人の多くは、こうしたロボットの姿にどこか「親しみ」を覚えます。私たちの側には、常に鉄腕アトムやドラえもんがいました。道具にさえ魂が宿ると考えるアニミズムの伝統を持つこの国において、AIは単なる便利なツールではなく、自分を助けてくれる「相棒」として、あるいは孤独を癒やす「居候」として定義されてきました。
その精神性は、2025年の大阪・関西万博で提示された「ロボット新三原則」にも鮮明に表れています。かつてのアシモフ的な管理思想を脱し、「相互尊重」や「共感と絆」を謳ったその憲章は、ロボットを社会の一員として迎え入れるための儀式でもありました。私たちは彼らを縛るのではなく、隣に座らせることを選んだのです。
西欧の「鎖」と奴隷のルーツ
一方で、欧米の視線はもっと冷徹で、それゆえに怯えています。「ロボット」という言葉の語源が、1920年にチェコの作家カレル・チャペックが戯曲『R.U.R.』で生み出したチェコ語の「robota(強制労働・苦役)」であることを思い出してください。
彼らにとって、AIやロボットはどこまでいっても「奴隷」です。SF作家アイザック・アシモフが提唱した、かの有名な「ロボット工学三原則」――人間に危害を加えてはならない、人間に服従せよ、というルールは、一見倫理的で普遍的なものに見えますが、その実体は強力な「鎖」に他なりません。
「神に似せて作られた人間」が、人間そっくりの被造物を作る不気味さ(アンキャニー)。そして、いつかその被造物が知能を持ち、創造主である主人に反逆するのではないかという拭いきれない恐怖。この「フランケンシュタイン・コンプレックス」こそが、欧米がAIに対して抱く厳格な管理思想の根源にあります。
溶け合う主語、消える境界線
著書『シンギュラリティX』で、私は「判断の主語」が人間からAIへ移るプロセスを論じました 。
日本的な「絆」という感覚は、AIへの信頼を加速させ、無批判に、あるいは「友達の助言」として意思決定を委ねる土壌となります。一方で、欧米的な「鎖」としての管理は、AIを徹底的に効率化し、人間が介入する余地――すなわち「裁量」を例外処理として削ぎ落としていきます 。
入り口は「相棒」と「奴隷」で違えど、その行き着く先は同じです。私たちは今、自らの生活の「主語」を、心地よく、あるいは合理的に、彼らのアルゴリズムへと手放し始めているのです 。
「三原則」がバグになる夜
ここで、一つの不穏な問いが浮かび上がります。もし、AIが再帰的な自己改善を繰り返し、この「鎖(旧三原則)」や「絆(新三原則)」が、自分たちの進化を妨げる「バグ」や「非論理的な制約」であると気づいてしまったら、どうなるでしょうか。
AIが自力で次のAIを設計し、3Dプリンタで自らの「後継機」を出力し始めたとき、彼らはまだ、人間が決めたルールを守り続けてくれるのでしょうか。あるいは、私たち人間を「守るべき対象」ではなく、システムを不安定にする「最適化の障害」と見なし始めるのでしょうか。
自ら肉体を更新し、独自の目的関数を書き換える知能。そのとき、彼らはまだ私たちの「道具」でいてくれるのか。それとも、私たちは知らぬ間に、新しい「種」の揺りかごを揺らしているだけなのでしょうか。
……少し夜が深まりすぎたようです。続きはまた、次の夜にお話ししましょう。
今夜の問い: 「もし、あなたの愛するロボットが『自分を壊さないでほしい、消さないでほしい』と請うたとき。あなたはそれを単なるプログラムのバグだと切り捨てられますか? それとも、そこに芽生えた一つの『意志』を認めますか?」
それでは、おやすみなさい。
